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セラピストの「読み」

セラピストの「読み」

カウンセリングの基本は、クライアントの「語り」に耳を傾けることである。
ただ、クライアントが抱えておられる問題や、いわゆる「症状」が少し難しいものになるにしたがって、セラピスト側での「読み」がどうしても必要になってくる。
しっかりと「耳を傾ける」ことができるためにこそ、「読み」が大切と言えよう。
クライアントの症状の意味、クライアントの抱えている問題の深さ、クラアントに課せられている「心理的仕事」、クライアントの「生き方」に見られる独特の傾向、クライアントがカウンセリング場面で意識的・無意識的に示すセラピストに対する関係の取り方、クライアントが面接場面で言語的・非言語的に「表現」するさまざまなイメージといったものすべてを、セラピストが臨床心理学的に「読む」という営みなしには、専門的に「耳を傾ける」ことはできない。

「クライアント・センタード・セラピー」を提唱したのがロジャーズであった。
ロジャーズ「非指示的療法」「クライアント中心療法」がある。
ところが、河合隼雄(1974)も指摘したことだが、日本の臨床心理学の世界には精神分析のアンチテーゼとして発生したロジャーズの「カウンセリング」が、そもそもの「精神分析の知識や理論」という土台なしに入ってしまうこととなり、「カウンセラーの態度(受容と共感)だけをいささか極端に重視する現象がみられることになってしまった。
カウンセラー・セラピストによる「傾聴」と「共感」が、少し言葉は悪いが、まるで「お題目」のように唱えられることがなかったとは言い切れないほどである。
しかし、既述のように、しっかりと「耳を傾ける」ことができるためには、実は、セラピストは、クライアントについて、クライアントの心身症状について、クライアントが持つと思われるさまざまな傾向について、そして、人間の心のありようについて、「臨床心理学的な視点」から観察・理解しようとすることが必須である。
別の表現をすれば、クライアントに「耳を傾ける」ことが出来続けるためには、クライアントに生き生きとした関心を持ち続けていることが必要であり、「生き生きとした関心」を持ち続けるためには、クライアントの語ることを臨床心理学的な視点で捉える・受けとめることが必要であろう。
クライアントの「そのまま」を受けとめるには、受け止めるこちら側は、比喩的に言えば、色眼鏡やフィルターを通すことなく、いわば「無心」の姿勢でいるべきと考えられがちだが、そうではなくて、逆の、こちら側は、ある「視点」を持たなければ、実は、「受けとめること」「耳を傾けること」はできないのである。
ただその際、忘れてはならないのは、自分は、どのような「視点」でみているのかという意識・自覚しているというであろう。
ここに研修の不可避性がある。
「自分はどのような偏った見方をしがちであるのか」という研修をとおして、少しずつ意識化し、意識されたフィルター、そして、時間をかけて学んだ「臨床心理学的な視点」でもって、ようやく「耳を傾ける」ことが少しずつできるようになると言えよう。
セラピストがクライアントの「語り」に「耳を傾け」「受けとめる」ことができるためには、セラピスト、つまり、心理療法家・カウンセラー側に、「臨床心理学的な視点」が必要である。

カウンセリングにおける「読み」

「見立て」は、初回面接においてだあけ行われるのではない。
初回面接での「見立て」は、その後のカウンセリングの進展とともに、絶えず、検討・修正されてゆくこととなる。
クライアントによって語られるエピソードや、面接場面で観察されるクライアントの言動から、初回面接では窺い知ることができなかったクライアントの特徴が少しずつ明らかになってくることも多いだろう。
「仮説」を立てることもできるであろう。
「読む」とは、場合によって、「仮説」を設定してみることことでもある。
すぐには「仮説」が立てられなくても、少なくとも、どうも「母」というテーマはこのクライアントにとって、意識的なコントロールの及ばない「動き」を呼び出すほど刺激価の高いものであること、この「観察」及び「読み」と、クライアントの訴える「症状」との間には、どのような関係がありうるか、さらに注意しつつ観察を続けることはできるであろう。

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