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学力をとらえる視点

学力をとらえる視点

学力の概念と学力をめぐる議論を概観する。
学力については、知識・技能の到達度という狭義の意味から、思考力や表現力など、さらに、学習意欲や学習スキルまでの広い意味がある。
また、教育の変遷にある対立軸として、一方には、教師指導主義、教科重視、他方には、学習者中心主義、生活重視の教育観がある。
心理学は、学力の構造や機能について理論的裏づけとなったり、実験や調査による知見を提供したりしてきた。
最近は、教科の基礎基本とともに、思考力、表現力や生活への活用をめざした学力の形成が重視され、学習指導要領の改訂へとつながっていった。

1.学力をめぐる議論ー対立軸の抽出
(1)学力とは何をさすのかという議論ー定義論

学力という言葉は、日常的には、学校で教えられると四季や技能をどれだけ身につけているかをさすのに用いられる。
そして、それを測定する方法は、通常は「テスト」である。
しかし、学校教員、教育学者、教育行政関係者など、いわゆる「教育界」では、もっと広い意味で使われることもあり、それ自体が議論になったりする。
学力とは、あくまでも「学問(教科)的な知識・技能の達成度(academic achievement)」に限るべきだという主張があり、他方では、学習意欲や学習スキルなどの態度面も含めて広くとらえるべきだという主張があるのが現状である。
志水(2005)「学力の樹モデル」では知識・技能、汎用的能力、学習力という3つの側面を木の葉、幹、根に例えて、それぞれ学力A、学力B、学力Cと呼んでいる。

(2)どのような学力をめざすかという議論ー目標論
間接的に将来役に立つ抽象的能力を身につけるという考え方は形式陶冶、直接的に役立つような内容を教えるという考え方は実質陶冶と呼ばれる。
これは、教育目標やカリキュラムを考える際にも、つねに現れる対立軸である。
形式陶冶の考え方が説得力をもつかどうかは、学校で身につけたとされる能力が、他の場面でもどれくらい有効にはたらくかという問題でもあり、これは、学習の転移(transfer)として心理学で扱われてきた。
ソーンダイクは、学習の転移はなかなか起こるものではないと報告したという。
しかし、心理学の中でも、学習の転移についての議論はその後現在に至るまで続いており、必ずしも決着がついているわけではない。
学校では、中学や高校において、必ずしもすべての生徒が将来使うわけではない数学や外国語を必修にする根拠の一つとして、形式陶冶の考え方が生きていることも確かである。
より広くとらえれば、学校は転移を期待して学問的系統に沿って教えていけばよいという教科主義(系統主義)をとるのか、転移はあまり期待できないので生活に役立つ実用的知識を教えていく方がよいという生活主義をとるのかという根本的で難しい問題にも通じている。

(3)どのように学力を育てるかという議論ー指導論
すでに教科の内容をよく理解している教師が、カリキュラムや指導方法を考えて生徒たちに教えていくという教師主導主義の立場がある。
他方では、子ども自身の興味・関心・理解状態などに配慮した条件・環境を設定し、教師はその中で支援者の役割を果たすことで、生徒が主体的・能動的に学習できるはずだという学習者中心主義(児童中心主義)の対場がある。
我が国の教育についてみると、幼稚園や小学校では、学習者中心主義の考え方が強く、中学校・高校では、教師主導主義の考え方が強いといえるだろう。
また、最近とりわけ注目されている指導形態として、協同学習(collaborative learning)がある。
これは、ペアや少人数グループでのコミュニケーションを通して理解を深めることをねらうもので、その背景には、人間の認識は個人の頭の中だけで成立するものではなく、他者とのやりとりによってつくられていくという社会的構成主義の思想がある。

2.学力についての最近の議論
(1)認知心理学からみた学力ー構造論
認知心理学では、身体(とくに脳)というハードウェアに、知識・技能にあたるプログラムやデータを備えた一種の情報処理システムとして人間をとらえる。
教科の学習というのも、教科書や教師から入力情報を得て、それをもとに記憶や思考し、発表、討論、レポート、テストなどで出力するという高度な情報処理行動とみなせる。
とくに人間が動物ととも機械とも異なる特徴として、入力から出力に至る情報処理のさまざまな段階で、すでにもっている知識内的リソースとして活用する点と、道具や他者外的リソースとして利用する点を挙げることができる。
学力とは、記憶、理解、推論、判断、問題解決、表現など教科学習に関わる情報処理パフォーマンスの総体としてみることができる。
このようにとらえることにより、児童生徒の学習を効果的なものにするためには、情報の入力にあたる教え方(情報提示)の工夫だけではなく、学習者がもっている既有知識、素朴概念、学習方略などを把握することの大切さがわかるであろう。

(2)「はたらき」からみた学力ー機能論
1980年代に、学校知批判、すなわち学校で教わる知識は生活とかけ離れており、子どもの興味・関心を引きつけることもできないばかりか、子どもの将来の役にも立っていないのではないかという主張が出されたこともあり、その後の教育論は、生活との関連を重視するようにてきている。
1990年代の半ばからは中央教育審議会が採用している生きる力というスローガンは、学力、人間性、健康・体力を3つの柱としており、1998年、2008年の学習指導要領にも使われている。
ここで「確かな学力」と呼ばれているものは、基礎基本的な知識・技能だけでなく、思考力・判断力・表現力なども含めており、単なるペーパーテスト学力ではなく、生活の中で活用・応用できる学力をめざしている。
OECDは「キー・コンピテンシー」という社会で生活するために必要な基本的能力を提案し、新しい国際学力調査「PISA」を実施するようになった。
この問題は、日常生活の中で現れるような問題状況の中で、いかに学校で習った知識・技能が活用できるかを測定するものであり、ここで測られる学力をリテラシーと呼んでいる。

(3)学力の実態をめぐる議論ー実態編
1990年代の中教審や文部省は、1989年の学習指導要領改訂で知識の量よりも問題解決やコミュニケーションの能力を重視する方向性を提示し、これは新しい学力観と呼ばれた。
1990年代半ばからは、「ゆとりの中で生きる力を育む」というゆとり教育が浸透し、それが1998年の改訂で結実したことになる。
ところが、その直後に、もはや日本の生徒たちの学習意欲や基礎学力はかなり低下しているということが、大学関係者、受験界、教育社会学者などからあいついで指摘されることになり、「おおむね良好」とする文部省や学校教育関係者との間で学力低下論争が沸き起こった。
また、平均的に低下しているというだけではなく、社会階層を再生産するような形で格差が広がっていることも問題視された。
論争が最も盛んであった2000年前後には、学力の実態を表す十分なデータがなかったことや、学力とは何をさすのか、今度どのような学力をめざすのか、というような点があいまいなことから、議論が噛み合わない面もあった。
しかしその後国際学力調査でも低下傾向が示されるようになり、文部科学省も全国学力調査をじっしして実態把握に務めるとともに、今回改訂された学習指導要領(文部科学省、2008)では、授業時数を増加させ、かつて削減された内容を復活させるなどの対策をとっている。
ここでは、「ゆとり」とか「詰め込みか」を超えて、習得ー活用ー探求を軸とする統合的なカリキュラムがめざされるようになっている。

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