「アサーションしない権利」とは?
アサーションはすべての問題の解決方法ではありませんし、ましていつもアサーションをしなければならない表現でもありません。
時間とエネルギーに値しない状況では、アサーションをしない権利を選ぶこともできます。
たとえば、注文通りの食事が来なかった場合、それを取り換える依頼をすることはアサーションです。
ただ、急いでいて、運ばれた食事が嫌いでないとき、常に取り換えを要求することはなく、それを食べてもよいという事です。
あるいは、暴力や危険などが予測される状況では、自分の力量を考慮してアサーティブに立ち向かうでではなく、そこから逃れたり、身を引いたりする決心をすることもできます。
それは、立ち向かうのではなく、身を引く決心をアサーティブにしたことになります。
自己選択、自己決断のアサーションには、その責任を自分がとることを含みます。
ただ、アサーションしない選択をしたとき、いつもすっきりするとは限りませんし、心残りや悔しい思いを持つことがあるでしょう。
その気持ちを誰かに聞いてもらいたいときは、親しい関係の人に未練や愚痴を話しましょう。
人は常にアサーションができる状況にいるとは限らないので、問題解決の相談をするのではなく愚痴だとわかって聞いてもらい、愚痴だとわかって聴いてくれる関係があることは大切で、ラッキーなことです。
仕事の後、一杯飲みながら雑談で気晴らしをしたり、必要とわかって気持ちのゆとりの回復のために時間をとったりすることもアサーションです。